【おもやい通信2016年秋号より】〈もやい〉の「長老」のおひとり、小林勇さんにインタビューしました

年四回弊団体が発行する活動通信「おもやい通信2016年秋号」発行いたしました。今回はその内容より〈もやい〉に古くから繋がっている小林勇さんへのインタビューを転載します。

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─お生まれはどちらですか
うちは京都のお茶屋やっていたんだ。宇治茶。そこの三男坊。

─どんな子どもだったんですか
そうだな。やんちゃだったかな。

─ガキ大将だった?
そうだね。三男坊なんで一番暴れたの。母もいないし、おやじが育てたんだね。
若い衆が六人くらい住み込みで、飯炊きの夫婦がいたんだ。そのおばちゃんがもらい乳して育ててくれた。

─終戦はいつでしたか。
中学2年。15歳かな。

─戦争中は
麦ごはんはいいほう。コーリャン(高梁)とかね。でもうちはお茶畑だったから白米食べてたの。先生に言われたよ。

─何て?
「小林君。明日からみんなと同じものもってきてください」と。親から苦情が来て。おやじは「そんなの関係ないだろ」
といってたけどね(笑)。

─若い頃お仕事はなにを…
わたしは露天商をやってた。納豆豆、焼き栗、雑誌…いろいろ売ったよ。

─稲葉剛(もやい理事)さんとはいつ頃知り合ったんですか
22年前かな。64のとき新宿で生活保護を受けたんですよ。そのとき(新宿で路上生活者支援をしていた)稲葉さんが月2
回生活保護受給者の懇親会をしようと立ち上げたのが「くぬぎの会」。その前から新宿の段ボールハウスにいたとき稲葉さんが回ってた。私の身体が悪いので稲葉さんに病院に連れてってもらった。

─長いおつきあいですね
そう。退院したときドヤ(簡易旅館)に入ったんですよ。そのあと稲葉さんが保証人になるからって言って中野区のアパートに入ったの。それからはずっと稲葉さんが保証人。

─稲葉さんどうでした?
ぼんぼんだった(笑)。

─今のアパートはどちらですか
いろいろあって、去年また中野区のアパートに入った。

─小林さんはいつもお部屋きれいにしていますよね
まあいろいろ飾っているなあ。みなもらいものです。ボランティアでデイサービスにいっていたときのね。将棋教えたりね。

─最近は面白い本読みました?
大西さんの本。稲葉さんの本とちょっと違うね。やわらかくて、大西さんの気性がそのまま出てるね。

─今のサロンはどうですか
そうねえ。はっきり言って、まあ、私は女の人とは話はあまりしないけど、打ち解けてやっているねえ。わたしがうれしいのは、古い人間が、新しい人が来たときに、
席を譲ったりしてるよね。以前より会話もあるしね。

─勇さんは歌もお上手ですよね
新宿の(路上生活者支援の)夏祭りや越年越冬の時は、音楽班というのがあってね。わたしは歌いながら紙芝居ね。ギターと三味線が入るの。

─はあ、どんな内容なんですか
私の放浪。「さすらいの野宿」という題名で。

─どのくらい放浪したんですか
新宿に来るまで4年くらいかな。釜ヶ崎、寿町…。稲葉さんに出会わなかったら今の私はいないね。「〈もやい〉小林さんと武笠さんとは わが命の旗印 こもれびコーヒー 和楽と絆」この「絆」というのはこもれびのうたです。「和楽」とはこもれびコーヒーをのみながら楽しくなごやかにということ。〈もやい〉がなければ私の旗は立たなかった。

─最後に〈もやい〉に期待することは
なんていうのかなあ。これ以上大きくならなくてもいいので、みんなが盛り上げてほしい。そうすればいい基礎ができる。

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〈もやい〉と〈もやい〉に集うみなさんへの思いやりに溢れるインタビューでした。これからも〈もやい〉のことを見守ってください!(聞き手:武笠優子)

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