1月28日(日)に開催された「#みんなで貧しくなりたいですか?〜生活保護引き下げに反対する街宣〜」より、当日登壇されたひとりである現在生活保護を利用されている方のスピーチを下記掲載します。
●当日の動画はこちら

私は節約のため、自宅のお風呂にはもう何年も入っていません。シャワーも毎日は使用していません。現在、自宅の部屋の中でダウンジャケットを着ています。ここ数年で購入した衣類のほとんどが数百円の古着です。GUなどのファストファッションでも、新品は高くて手が出せません。外出の際は、空のペットボトルに水道水を入れて持ち運び、中身が無くなるとトイレの水道などから補充しています。その様子を度々周囲の人から奇異の目で見られて、恥ずかしい思いをしたこともあります。私のその行動を見た知人は、驚きのあまり絶句しており、その反応を見た時は、自分がとても惨めに感じられました。

しかし、私は精神疾患による過食嘔吐の症状があります。このような摂食障害は、自分の意思でコントロールできるものではないので、これによる支出はどうしても削ることができません。「過食さえなければ、もっとマシな生活ができたかもしれない」とよく思いますが、それは障害や病気、何らかの事情がある人は、どんなに苦しい生活、どんなに惨めな生活になっても仕方がないと、自ら差別することのように思えて、その都度頭を振り払い、踏ん張っています。

そして、前回の生活保護費引き下げの後は、家電が壊れた時の買い替え費用など、何かあったときのための貯金をすることも殆どできなくなりました。

これが現在の私の生活です。体調より節約、自尊心より節約。常に節約することを考え続ける日々です。生活も気持ちも余裕がありません。病気が治る希望も、生活保護を必要としなくなる生活も、想像ができません。

前回に続き今回の引き下げについても、厚生労働省は「保護費を適正化する」と言っていますが、このような生活から引き下げて適正になる生活とはいったいどのようなものでしょうか。私は節約のために恥ずかしい思いや惨めな思いをすることのない、尊厳を保つことのできる生活がしたいです。また、生活保護費は私にとっては生活そのものですが、同時にこの国のナショナルミニマム、最低生活ラインでもあります。本来このラインを下回る生活を送ることはあってはならないはずなのですが、生活保護以下の所得で生活保護を受けていない人の割合は、7割~8割程と言われています。要件の複雑さ、生活保護は恥とする社会の眼差しなど、利用抑制の圧力が生活保護の利用のしづらさに繋がっていると思います。

前回の生活保護費引き下げの際、根拠が不合理だし、今(当時)でさえぎりぎりの自分の生活が今後どうなるか不安だと人に話しました。その時に返ってきた言葉は、

働かないでお金をもらっているのに、年金よりずっと多いお金をもらっているのに、人が払った税金からお金をもらっているのに、それなのに不満を言うのか。そこは我慢するべきではないか。

そう私に告げたのは古くからの、とても親しかった友人たちでした。現在、彼らとの連絡は途絶えています。その人たちのうち、ある人は子どもの大学の費用と親の介護のために、老後の貯金を使い果たしたと言っていました。ある人は年金が少ない上に、医療費と介護保険料の負担が増えて生活が苦しいと言っていました。ある人は長時間労働による体調不良や不安定な収入、職場のパワハラを嘆いていました。私には、みんな生活保護からそう遠くないところにいるように見えました。

おそらく、友人たちが抱えていた生活の困難、将来への大きな不安などが、生活保護を利用して一定の生活を得ている私に対する不満、不公平感につながっていたのではないかと想像しています。生活保護への苛烈な批判は、制度を利用していない人の悲鳴のように私には聞こえます。

現在、この国の社会保障、生活保障はあまりに貧弱です。安定した住宅費の給付や医療など無償の公共サービス、生活負担を直接軽減させる仕組みが、生活保護だけのものであることがおかしいと思います。

現在の生活保護当事者の生活も厳しい状態ですが、今回引き下げの理由として、厚労省は「一般低所得世帯の消費支出が生活保護基準を下回っているので、生活保護を引き下げる」と言っています。それはつまり、最低限度の生活に必要な支出さえできない状態にある人びとがいることを把握しながら、何もしないということではないでしょうか。

比較の対象とされた人の中には、「生活保護だけは絶対に嫌だ」と、文字通り命を削りながら耐え続けている人びとも含まれているでしょう。また、多少保護基準を上回る所得があったとしても、前回の引き下げにより基準自体が下がっているので、その生活は大変厳しいはずです。だからこそ、様々なことを諦め、極限まで消費を抑えざるを得ないのだろうと想像できます。中間層と言われる人ですら所得は減り続け、それでも先の見えない将来の不安に自分自身で備え続けなくてはならず、そのために現在の生活を切り詰めるしかないと思います。それなのに、国は何もしないのでしょうか。賃金を上げる、生活保障を拡充するなど、早急にするべきではないでしょうか。

ここ数年、ひとつの制度の充実を求める話が出ると、財源として別の制度の予算が削られるという話になります。主な理由は財政難です。国の財政がどうでもいいという訳ではありません。しかし、財政と引き換えに犠牲になってもいい人がいるでしょうか。私は犠牲者を選ぶための土俵には上がりたくありません。こんなに生きていくことが苦しいのがおかしいです。生活保護を利用している人も、低所得者の人も、そこに当てはまらないという人も、誰もが健康で文化的で尊厳ある生活を送っていいはずですし、誰もが声を大にしてそれを求めていいと私は思います。

(生活保護利用者 30代女性)

冬のご寄附のお願い

生活にお困りになり〈もやい〉ご相談にこられる方々。その中でも、現在お仕事をされているにも関わらず困窮される方も増え続けています。 年明け後も相談活動を続け、貧困問題に立ち向かう〈もやい〉を、寄附という形で応援していただけませんか?