本年度より〈もやい〉に二十代のスタッフが入社しました。
いろいろな意味で「地味」な生活困窮者支援の現場に、その若さでなぜ飛び込んだのでしょうか?
その熱い想いをお伺いしました!

結城翼(ゆうきつばさ)
1993年神奈川生まれ。東京学芸大学で社会学を学んだ後、イギリスのバーミンガム大学国際開発学部修士課程を修了。専門は都市再開発とジェントリフィケーション。大学生の時から東京都山谷地区および渋谷区で野宿者支援運動に関わる。現在は認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやいで生活相談・支援コーディネーターとして勤務。
田中悠輝(たなかゆうき)
1991年東京生まれ。明治学院大学国際学部卒業。2013年より認定NPO法人抱樸(ほうぼく)に関わる。現在は認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやいで交流事業コーディネーターとして勤務。

結城翼さん(左)と田中悠輝さん(右)

── お二方とも、そもそもどういった経緯で〈もやい〉に入ることになったのでしょうか?

田中:もともと大学時代に震災の被災地支援を通じて奥田愛基くん(元SEALDs メンバー・現ReDEMOS 代表理事)と知り合って、彼の実家へホームスティをしたんですね。

それをきっかけに奥田知志さん(認定NPO 法人抱樸理事長)と出会って、知志さんから「ホームレス支援はおもしろいぞ」と騙された(笑)
そんな経緯から「抱樸」で支援に関わりだしたのですが、信じられないようなことが日々起きて実際おもしろかったですね(苦笑)
ただ、家庭の事情で退職後東京へ戻ることになり、それでもずっとホームレス支援には関わり続けようとは思っていたんです。そんなとき、〈もやい〉の求人を見て応募しました。

結城:大学3年生のときに、新しく赴任してきた先生が寄せ場を研究している方で、その方が紹介してくれた本を読んで「山谷」地域を知り、興味本位で連れていってもらったことが、この分野に関わったきっかけです。
そこから山谷でボランティアをはじめ、気づいたら1年間経っていました。
大学院は関連分野で海外に進学したのですが、帰国後も野宿・ホームレス支援に関わりたいと考えていました。

ただ、一般企業や教員として務めると間違いなく現場から離れざるを得ないと思ったので、在学中アルバイトとして関わりがあった〈もやい〉に入ることにしました。

── お二人とも〈もやい〉に入る前から「生活困窮者支援」に関わり続けているわけですが、そのモチベーションは何なんでしょうか? 率直に辛くてやめたいと思ったことはありませんか?

田中:正直「支援をやめたい」という思いはずっとありました。「きつい・やめたい」と「面白い」という感情が両方ある分野なんです。

その「面白い」を考えてみると、今は「しっかり人と関わる」ということがあまりない社会なんだからだと思います。みんな「なんとなく」そこにいる。でも、それとは違う、自分が何かしなければならないという実感がこの支援の場所にはあり、それが実際に社会を動かしていたりもしている。
この感覚が、この分野に関わっている面白さのひとつだと考えています。

結城:野宿者支援の現場はある種「意味のわからない世界」だと感じています。一般的な常識が通じない世界で
す。まずは、それが単純に興味深いです。

そして、なぜ「野宿者問題」に僕が惹かれるかというと、今のすごく生きづらい社会が自分は嫌いだからなんですね。さまざまな意味でのマイノリティの方々はいろいろな生きづらさを感じていて、野宿者はその最たるものではないかと思います。そんな生きづらい社会を少しでもましにするため、この業界にかかわり続けていますし、それは私自身のためでもあります。

── お2人はこれから〈もやい〉や、もっと大きな枠組みでもよいのですが、この業界や問題についてどのような取り組みをしていきたいですか?

田中:自分自身としては、ほどほどに生きていきたいだけなんです。けれど、ただ生きていくだけで障壁を感じています。社会制度や差別について「おかしい」と感じることが多すぎます。おかしいことをおかしいといえ、もっと多様な生き方が担保されるべきであるし、それが僕が思うほどほどの暮らしだと思っています。そのために働いていきたいです。

結城:「ホームレス」や「貧困」などさまざまな問題がたくさんありますが、自分としてどの立ち位置で関わるのがよいのか整理できていません。
多様な人々がそれぞれの立ち位置から社会を考えているわけですが、さまざまなアプローチの整理と相対化を、自分としてはおこなっていければと考えています。

(聞き手・構成:佐々木大志郎)