認定NPO法人 自立生活サポートセンター・もやい

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もやいブログ

2025.12.16

おもやいオンライン広報・啓発事業

過去、現在、そして、未来に「変化」をつないでいくために

連日の猛暑が続いたと思ったら、線状降水帯の発生など大雨の災害も頻発しています。
気候変動の影響なのか、子どもの頃の「夏」は
もっと過ごしやすいものだったのではないかと思い返したりします。
みなさまは、この夏、いかがお過ごしだったでしょうか。

『おもやい通信』でも毎号のように報告していますが、
新宿都庁下での食料品配布の活動に来られる方が、6月7日に840人と
過去最多になりました。本当に信じられない数字です。

物価高、そして、お米の価格の上昇など、暮らしをとりまく環境は厳しくなるばかりです。
〈もやい〉でも支援物資の不足に頭を悩ませています。
ご支援いただける方はぜひ、ご協力ください。
この場を借りてお願いさせていただきます。

支援現場の状況は酷暑もあり厳しいばかりですが、
この夏はいくつかの団体に招かれて、研修や講演の講師として全国の各地を訪れました。
そこでの学びと気づきについて、紹介させてください。

旧炭鉱の街を訪ねて

7月末に、福岡県嘉麻市の社会福祉協議会の20周年記念のイベントにて、
講師として招かれ登壇してきました。
嘉麻市は博多から桂川までJRで1時間弱乗ったのち、
桂川から車で15分〜20分ほど行った人口3.5万人ほどの小さな市です。
いわゆる「筑豊地域」と言われるエリアで、戦前から戦中、戦後の
高度経済成長期と炭鉱で栄えた地域でもあります。

講演会場が地域の公民館だったのですが、
そこで「山野炭鉱ガス爆発事故」についての展示がおこなわれていました。
展示といっても係員がいるわけでもなく、パネルが何点かあるだけの小さなものでしたが、
当時の状況をうかがうことができる秀逸なものでした。

山野炭鉱ガス爆発事故は、1965年に起きた炭鉱での事故で、
死者237名を出す、戦後2番目に大きな被害を出した大惨事です。
山野炭鉱は現在の嘉麻市にあった炭鉱で、筑豊炭田における
三井鉱山の主力鉱であったそうです(1973年に閉山しています)。

展示では、炭鉱運営会社側に保安対策上の大きな過失があったこと、
被害を受けた方の多くが過酷な坑道の環境のなかで働く労働者であり、
不安定な労働条件のもとで働いていたことなどが仔細に記されていました。

戦前、戦中、戦後と連綿と続く、産業構造や差別がうみだしてきた
「貧困」の問題の一端を垣間見たような心持ちになるとともに、
そういった場所で半世紀以上たって講演することに背筋が伸びたような気持ちになりました。

講演後に旧炭鉱住宅のエリアを見学させていただきましたが、
往時のまま長屋が残っている場所もありました。
筑豊地域は今でも福岡県内では生活保護の利用者が多いエリアとも聞きます。

東京や大阪などの大都市圏とも違う、
それこそ、「山谷」や「釜ヶ崎」とも違ったさまざまな「貧困の歴史」があり、
「貧困のカタチ」があることをあらためて実感した次第です。

内閣府の参与としての出張も含めると、
年間で100以上の講演や視察、研修講師などを務める機会があり、
全国のさまざまな地域に行かせてもらうことが増えています。

生活困窮者支援や地域福祉、孤独・孤立対策などの取り組みについて
熱心な自治体やNPO等の民間団体がある地域の多くは、
いろいろな「文脈」のなかで支援や取り組みが立ち上がってきたところが多く、
今回の嘉麻市のように、複雑な地域事情や背景を抱えていることもしばしばです。

また、それぞれの地域で、熱心に、地に足のついた活動があり、
その継続性のなかで支援がおこなわれ、社会運動があり、
少しずつですが社会が変化をしてきたのではないかと思います。

全国の多くの実践、歴史や文脈を学びながら、
〈もやい〉として出来ることを考えていきたい、そんなことを考える夏となりました。(大西)

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